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2021/08/12

プチ移住で気づいたこと

アートディレクター/デザイナー 光嶋 崇

えびの市プチ移住光嶋 崇

ポニーキャニオンさんとの仕事の関わりの中で、東京から宮崎県えびの市に3カ月間のプチ移住を経験して本当によかったと思っている。宮崎では仕事が終わったら家族と一緒に日替わりで色々な温泉の「泉質」を楽しんでいた。そして東京より家賃も断然安く、気候も最高だった。

幸せとは何か? と、毎日考えさせられて人生観が変わった。昨日より多面的な価値観を知って見る世界は、キラキラとした輝きに満ちている。

その時の私には、こうあるべきという考えを捨てて少し人生を流れに任せてみる心の余裕と、根拠のない自信と、何かに挑戦して乗り越えたいと思う気持ちが少しあった。

 

 

Wi-Fiだけで仕事を完結させようと考え始めたきっかけが2011年の3.11だった。当時、私は東京の目黒でデザインの仕事をしていて、福島第一原子力発電所の衝撃的な爆発をTVで見た。知人とすぐ連絡を取り合い、3月12日の夕方にはコンピューターを持って家族と一緒に東京を離れて、実家のある岡山に避難してオンラインでデザインの仕事をしていた。幸い私の家族や親戚は無事だったが、多くの命が犠牲となった私にとっても悲しい出来事だった。田舎の温泉のテレビでは、遠い外国の出来事のように津波の映像が繰り返されていた。

しばらくしてほとぼりが冷めて東京へ戻っても、関西へと向かう高速道路ですれ違った大量の消防車のサイレンと、温泉のテレビでのんびりと津波の映像を見ていた岡山の老人たちが忘れられなかった。その後は、東京での「普通」の日々が続いたが、あの経験を境に家族がトランクひとつでも常に幸せを感じられるような生き方を模索し始めた。

 

 

元々旅が好きだったので、震災後は仕事をしながら家族でEUやアジア各国へ頻繁に旅をするようになった。パリのカフェで企画を書き、フィリピンの英語学校で英語を学び、インドネシアのシェア オフィスでデザインをしていた。

ある日、ベルギーのアント ウェルペンからヘントへ向かう列車の中でコンピューターを入れたリュックを盗まれた。途中の停車駅でほんの一瞬電車の行き先を聞かれ、私がリュックから目を離した隙に別の仲間が奪っていったのだ。

警察に被害届を出して、パリのアップルストアで新品のMacを買おうと思ったら、フランス語のキーボードしかなかったので諦めた。

 

 

そんな時期に、ポニーキャニオンの方から宮崎県のえびの市のシティプロモーションの企画を聞き、行ってみたい! いや、数ヶ月住んでみたい! と即座に思った。脳裏には既に地鶏の炭火焼きの歯応えと柚子胡椒のイメージが膨れ上がっていた。後に企画も正式に決まり、家族にも納得してもらい、車中泊が出来る大きな中古車を買って家族とコンパクトな家財道具を載せて東京を離れた。

東京では家に鍵をかけなかったことはないけれど、宮崎では家に鍵をかけた記憶がない。それくらいのんびりとした素敵な町だった。えびの市は、世界的にも有名な飲料水メーカーのミネラルウォーターの採水地だ。隣町は鹿児島県の湧水町(ゆうすいちょう)という名前の町で、子どもをプールに連れて行ったら、プールの水も湧水だった。そして驚いたのは、えびのの米の美味しさだった。要は水か…。

えびの高原に撮影も兼ねて早朝に一人でハイキングに行った時、美しい森の中でバッタリ鹿の親子に遭遇した。カメラのファインダー越しに、「一見何もないような所に地球の歴史の全てがある。」と、思った。46億年の地球の歴史を1年で例えるなら、人類史は全て12月31日の午後の話だ。宮崎は神話の多い場所で、雄大な自然に囲まれていると人は神々しい気持ちになる。私は無神論者だが。

休日に家族でドライブして、神武天皇ゆかりの神社で神主の方の説明を聞いたら、どう聞いても、何度聞いても、発音が「ずんむ」天皇だった。新しい価値観で見る世界は、いつも輝きに満ちている。

人生には様々なフェーズがあるので、期間限定のプチ移住なら、タイミングさえ合えば世界中何処へでも行ってみたい。

 

光嶋 崇 アートディレクター/デザイナー

桑沢デザイン研究所卒。スペースシャワーTV、CISCO RECORDSなどの音楽業界を経て、ドキュメンタリー映画『さんピンCAMP』を監督。後にデザイン事務所を設立し、ホフディラン、ドリームズカムトゥルー、スチャダラパーなどのデザインを手がける。現在はアートディレクター、デザイナーとして幅広く活動中。

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