2021/12/10
地方創生の基本は「排除しない」&「歓待する」…この2点!
2020年11月1日、東京都渋谷区から佐賀県唐津に引っ越し1年1ヶ月が経過しました。基本的に今の生活に満足していますし、東京を脱出して良かったと思っています。何しろ「マスク圧」が強過ぎるし、あまりにも人が多過ぎる。これは私のようなマスク嫌いにとっては苦痛でしかありません。
人生のほとんどは東京で過ごしてきたため、もはや都会への憧れもないし、東京で十分ライター・編集者・PRプランナーとしてやることはやり切ったとセミリタイアをしました。今では釣りをしたりクワガタを獲ったり、地元の人と飲んだり、全国各地から唐津に知人やネットで知り合った人々がやってきてくれ、酒を一緒に飲んでいます。
そうした中でも現在の満足度を高めてくれているのが月に1回の東京出張(私は「出稼ぎ」と呼んでいますが)の存在でしょう。毎月『ABEMA Prime』という報道番組に出演するため東京に3泊4日ないしは4泊5日いるのですが、この時間があるため東京時代の人々に会えますし、日本の最先端のものを見ることができる。そして、唐津に戻ったところで「ようやく日常に戻った」とホッとできるのです。
この「月1回の非日常」「もう一つ場所を持つということ」についてはいずれ書きます。地方に住む人は、必ず月に1回、別の場所で仕事をするような状況を作ると人生が色々と変わるような気がします。人生にとって良い提案になるのではないでしょうか。
しかし、初回の今回は、地方で仰天したことについて書いてみます。それは警戒心の強さです。2015年、18年ぶりに母の実家(北九州市八幡東区)を訪ねたのですが、その時の記憶が今でも生々しく思い出せます。
私の妻と友人夫妻、友人一家(夫妻と生まれて4ヶ月の娘)の7人で行ったところ、祖母と叔父夫妻、そして私の従妹一家(夫・娘2人)が盛大に歓待してくれました。たくさんの刺身や寿司やフライなどを食べ、赤ちゃんを92歳の祖母に抱いてもらい、縁起の良い「長寿者に抱かれる赤ちゃん」といったことをした後、我々と従妹の娘2人(2人とも小学生)と9人で散歩へ行くことになりました。
折尾名物 東筑軒 駅弁「かしわめし」
私としても、自分が小学生の頃毎年夏休みに訪れていた祖父母の実家周辺を妻と友人に見てもらいたかったのです。そしてその家から約500メートルほど離れた別の住所に入った時のこと。道の両側にある家から突然人々が外に出てくるのです。完全に「怪しいよそ者がこの地区にやってきた」と解釈され、監視をされたわけです。
私はこの時、黒いジャケットを着ており、他の人々は秋の装い。小学生女児2人は「よくある女児の恰好」で、赤ちゃんはベビーカー。成人男性は3人、成人女性が3人、小学生女児2人、女の赤ちゃん1人、というユニットです。
これを見て都会では「こいつらは怪しいヤツらだ」と思うことはないと思うんですよ。基本的にはこうした集団が歩いていたら、見たことがない人々とはいえ、仲の良い3つの家族が散歩をしているのだろうね、と思うのでは、と私の感覚では思う。
しかし、両隣の人々が外に出たところ、途端にその先の家からも人々が家のドアを開けて外に出てくるんです……。一体なんなんだ? 多分、一斉に「怪しい連中が来ている」と緊急連絡網で伝達したのでしょう。オレは毎年祖母の家に小学6年生までは毎年来ていて、この道もばあちゃんと一緒に歩いていたのに、成長したオレがジャケットを着て、あなた方が会ったこともない人々がいたら警戒するのか? と正直思いました。そして、結論はコレです。
もう、ここには来ない。
絶対にもう、私は母の実家には一生行きません。「ヨソ者」を一生排除してくださいませ。
一方、私が現在住む唐津の人々は、ヨソ者を歓迎してくれ、昔からの友人であるコピーライターのこやま淳子さんは夫とともに4回、ライター・編集者の漆原直行さんは3回唐津に来てくれ、唐津の人々から歓待してもらえました。
唐津名勝 七ツ釜
だから、こやまさんも漆原さんも何度も唐津に来てくれ、カネを落としてくれる。地方創生は基本は「排除しない」という完全なる人間の常識があったうえで、「歓待する」という2つの要素が必要なのです。