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2025/03/06

【Spesial Interview】ニッポン移住者アワード 地方創生賞受賞 上野菜穂子さん

中川淳一郎

移住をする場合、なんらかの地縁があることが多いが、一度訪れただけでその地への移住を決意したのが、佐賀県有田町の上野菜穂子さん。2017年に地域おこし協力隊に参加し、有田に移住。3年間の任期を終え、協力隊仲間と立ち上げたNPO法人「灯す屋」で、空き家活用や移住・定住支援に取り組む。その他、有田の菓子店が作っていた「ちゃわん最中」の復活・販売や、地元の名店を束ねる「うちやま百貨店」企画・運営などを行う。

 

 

北海道出身の上野さんは大阪外大でペルシャ語を学んだ後、24歳の時にイランへ行き、地元の国営放送に入局。ラジオ番組の制作に携わる。元々2年ほどで帰国する予定だったが、気付いたら15年…。

 

日本への帰国を考えていた矢先、「地域おこし協力隊」を知り、どこか地方へ行こうと考えた。地元・北海道と関西は除外し、知らないエリアである日本の西側を漠然と希望地とした。そんな中、中国のLCC・春秋航空が成田から広島か佐賀へ700円台の激安チケットを販売していることを知り…こんな機会でもなければ行かないであろう佐賀へ。上野さんは語る。「それまで佐賀のイメージはまるでなかったんです。安いから行ったんです。海外で吉田修一原作の映画『悪人』を見た時、二人の主人公が呼子で烏賊を食べるシーンがあり、その店に行きたくなったんですよ」

 

2泊3日で嬉野温泉を経由し、唐津へ向かって呼子のイカを食べて帰ろうと思ったのだが、その途中のルートで有田町に。

 

 

そこで見た有田のまちなみに衝撃を受け、ここに住みたい!と思い、地域おこし協力隊に参加することになる。移住というものは人生の大転換ではあるが、上野さんは飄々と自己分析をする。「地域のことをやるのであれば、地域に住んで、地域の人が何を考えて、何を求めているのかを知りたいと思いました。地元の人がやらないこと、やりたくてもやれないこと…それをやるのが私の役目なのかな、と思っています。私は地域貢献をしたいという思いがあるかといえば、そこまでの意識はない。何かチャレンジをしたいと思ったんです。伝統のあるまちで、ある程度の不便さや制限も受け入れながら、それを面白さに転換していく。楽なことばかりではないので、一般的にQOLを上げたいと思って移住相談に来る人には、私の経験はあまり参考にならないかもしれませんね」

 

上野さんは移住の成功の可否はその土地・人との「相性」にあると語る。だから、移住希望者には「私には合っているけどあなたに合うかは分からない」と正直に伝えるそうだ。

 

現状、「灯す屋」は、空き家活用や移住支援の団体として知られているが、あくまでもまちを面白くしたいと思って、様々な事業を展開している。他にもなくなったお菓子はあっただろうが、「ちゃわん最中」を復活させたのは、かつてまちの人たちに愛されていたお菓子であったこと、そしてまちのシンボルでもある・・・理由だ。上野さんは復活にあたっては、地元の人を巻き込むことが重要だと考えた。

 

 

餡子は佐賀市の老舗菓子店から、最中は石川県金沢市のメーカーから仕入れており、上野さんは生産者ではなく、企画・デザイン・販売の担当だ。こうした部分では地元のデザイナーと協業しており、地元の人達と作り上げて来た。

 

地元の人たちとああだこうだ言いながら作り上げるのがすごく楽しかった。都会の専門性のある人とやれば、もっと早く販売にこぎつけたり、数をたくさん売ったりはできたかもしれませんが、そうではなく、泥臭く迷走しながらやってきたから楽しかったし、信頼も得られたのではないでしょうか」

 

伝統ある焼き物業に従事している人々とはなかなか接点がなかったと言うがちゃわん最中を出張の際の手土産に使ってもらうなどして、少しずつ活動を認知してもらえるようになった。現在、8の窯元と2人の作家と共に「ちゃわん最中の形をした有田焼」を制作しており、有田に住む移住者として新たなる風景が見え始めた。

 

 

上野さんは移住者が外様であることを認識しており、「うちやま百貨店」の取り組みも、「商売を曲がりなりにも経験することで、同じ目線に立って話ができるようになる」と語る。そのうえで、地元の人間でない者は地道に地域で活動をするしか受け入れられることは難しいとも考える。

 

上野さんの話す内容を聞いていると「私が地元を変えてやるのだ~!」のようなアツ過ぎる思いは却って地元の人から煙たがられるのでは、と感じた。伝統ある街であればあるほど、ラディカルに変えようとする勢力を嫌がるものだから。

 

中川淳一郎

1973年東京都立川市出身。1997年に博報堂に入社し、CC局(現PR局)に配属される。2001年に退社し無職を経てフリーライターに。以後、雑誌テレビブロスの編集を経て2006年からネットニュース編集者に。2020年8月31日をもって「セミリタイア」をし、11月1日から佐賀県唐津市に引っ越す。2023年2月いったん唐津市を離れ、現在タイ・バンコクにてひっそりと暮らしている。

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