2021/10/11
「あぐりいといがわ」の心意気
先日、大学の教室で、ゼミの学生たちと大瓶のトマトジュースを分け合って飲んだ。
「甘い!」「こんなに美味しいトマトジュースは初めてだ!」「なんか、体が喜んでいるのがわかる」「私はトマトジュースが好きじゃなかったのに、これは美味しいです!」
学生たちはその味わいに感動した様子だった。みな、揃って笑いだしたのだ。
いただいたのは、新潟県糸魚川市に農場を拓く「あぐりいといがわ」の「大農」というトマトジュースだ。飲むたびに世界が新しくなるような珠玉の逸品である。なぜ学生たちとこれを飲む機会を得られたのか?
それは私のゼミが、「希望学」に貫かれているからだ。ハンセン病文学から国際平和に至るまで、ありとあらゆるフィールドで希望につながる題材を探してきて、学生たちと学び合っている。「あぐりいといがわ」は、「組み合わせの希望」という課題のなかで、どうしても触れておきたい存在だった。そのことを「あぐりいといがわ」に伝えたところ、「学生さんたちとどうぞ」とたくさんのトマトジュースを送ってきてくださった。
この迅速な動きと情熱あふれる行動力も、「あぐりいといがわ」の魅力だ。
私は、松尾芭蕉の『奥の細道』の行程を自転車で旅したことがある。福島の原発事故の影響がどんなものなのか、線量を測りながら各地を訪れた。そのときに、「あぐりいといがわ」の代表者である梅澤敏幸さんと知り合い、大変お世話になった。そこで初めて「大農」をいただいた。『学問のすゝめ』の一節、「農たらば、大農たれ」から名付けられたこのジュースは、梅澤さんたちが育てた樹上完熟の大玉トマトと、わずかな塩だけで作られたものだ。私は本当に感動した。そして、農場を歩かせていただき、さらに感じ入った。産業としての組み合わせの妙が、糸魚川の美しい高原に展開していたからだ。
映画『楢山節考』のロケ地にもなった糸魚川の里山は風光明媚に尽きるが、その現実は限界集落であり、耕作放棄地の連なりだ。農地はあっても耕す人はいなくなり、かつての豊穣の里は茫々たる荒れ地になりつつある。梅澤さんたちはここにもう一度鍬を入れ、同時に人も集めた。定年退職などで人生の節目を迎えた人々と肩を組んだのだ。ほんとうは価値がある土地。ほんとうは労働欲も能力も有り余っているみなさん。この二つが結びつくことにより、終わってしまったかのように見えていた地域と人が再び実りの季節を迎えることになった。
さらに「大農」は、科学の粋に支えらえている。トマトを育てるビニールハウス内はコンピュータによって管理され、水や肥料の量から与える時刻までがオートマチックでコントロールされている。究極の環境下で栽培するからこそ、トマトの命に味わいの可能性を託すことができるのだ。
トマトだけではなく、梅澤さんたち「あぐりいといがわ」は、米作りやぶどうの栽培も次々成功させている。ネットですぐに注文できるシステムも先駆的であった。
ただ、私のもとで「希望」について学ぶ学生たちには、もう一つわかってほしいことがある。飲んでもらってくださいとジュースを送ってきてくれた「あぐりいといがわ」のその心意気である。どんなに恵まれた環境もどれだけ素晴らしいアイデアも、心意気というものがなければ花開かない。農業や地方創生の基本はやはり、この「心」というもののなかにあるのだ。