2021/10/21
ふるさとがたくさんある社会を創りたい
「ふるさと」という言葉が好きである。
私が地方創生に対して思っていることや成し遂げたいことは、この言葉が好きな理由を深堀していくことで見えてくる。
「ふるさと」という言葉の意味を調べてみると、
1.自分の生まれ育った土地。故郷 (こきょう) 。郷里。「―に帰る」
2.荒れ果てた古い土地。特に、都などがあったが今は衰えている土地。
3. 以前住んでいた、また、前に行ったことのある土地。
4.宮仕え先や旅先に対して、自分の家。自宅。
となっている。(出典:goo国語辞典)
1の「故郷」という意味合いで捉えられていることが多い気がするが、3の意味合いから別に「出身地」でなくても「ふるさと」と言えることがここからわかる。
例えば、2008年に始まったふるさと納税も「出身地」や「居住地」でなくとも、「好きな地域」や「応援したい地域」に納税ができる制度だ。
私は、「ふるさと」とは「自分の想いが詰まっている場所」だと考えている。
ふるさとが出身地なのでなく、「自分の想いが詰まっている場所」なのであれば、ふるさとは1人につき1つしか持てないものでなく、いくつも持つことが可能になる。
関係人口創出とふるさとが増えるということ
最近、様々な地域でテーマに挙げられている「関係人口の創出」に関しても、この「ふるさとをたくさん持つ」という所から考えることができる。
(出典:総務省「関係人口ポータルサイト」)
この図の通り、関係人口とは「その地域に思いを持つ人=その地域をふるさとと思っている人」である。
「定住者だけを増やしていく(≒出身者を増やしていく)」という施策や戦略は地域の未来を考える上で得策ではない。
日本の人口がどんどん減っていくことは避けにくい事実だからだ。
(出典:内閣府「選択する未来委員会」)
日本の人口がどんどん減っていく中、「定住者」の増加だけを狙っていった場合、「日本の人口=定住者」となり、それはつまり縮小していく市場の中でパイを奪い合うだけである。
そうではなく、「1人1人がいくつもふるさとを持てる社会」を実現することができ、仮に人口1人につき、ふるさとが2つできる様になれば、それだけで日本の人口 ×2の数の地域が活性化することになる。
人口減少が進む社会の中で優先すべきなのは、間違いなく後者であるだろう。
また、観光客に関しても単なる「1度訪れた人」ではなく、「常にその地域を思ってくれる人」「リピーター」が重要になり、ここもまた「ふるさと」という言葉を意識することで解決策に繋がりやすくなると思う。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
上記は室生犀星の詩句の一説だが、地方創生に関して思考を巡らしていくと、時折この詩句が頭によぎる。
私は今、基本的に東京で働き、東京で生活している。
けれども、ふとした瞬間に思い出す、様々な地域の、様々な思い出がある。
20才のはじめての宮古島。台風の夜。台風が明けた後の空の青さ、海の青さ。ウミガメと泳ぐ。
高知のひろめ市場で味わった日本酒の酔鯨と鰹のタタキ。朝からひろめは天国か。
静岡の下田で過ごした学生時代の夏の1週間。お金がなくて、海と星空だけがあった。
和歌山の白浜の円月島で見た夕日の美しさと切なさ。白浜駅前の喫茶店。
免許取ってはじめて車で行った千葉の館山の海キャンプ。道の駅。野島埼灯台からの眺め。
香川の青島は本当に猫がたくさん。写真フォルダが猫だらけ。猫の写真を撮る人の嬉しそうな横顔。
いろんな人と行った東京島嶼部の島々で見た海から上がる朝日の美しさ。船の上で話した様々な事。島寿司。島焼酎のソーダ割り。ボロボロのエアコンの効かないレンタカー。船の出港の時に流れる蛍の光。
旅先での思い出を書き始めるとキリがない。
これらの思い出があるから、辛いこともあるがなんとか東京で頑張れているとすら時折思う。
額縁で飾られた絵を見る様に、様々な地域での様々な思い出を思い出し、また行きたいなと思うし、その地域に貢献できることがあれば貢献したいなと思う。
常に近くにいることだけが全てではない。
むしろ、離れている時にどれだけその対象のことを想えるか。愛情の深さはそこにあると、私は思う。
人々の心の中にいくつものふるさとがあるということ。その多様性を受け入れること。
それがこれからの地方創生の中では大切になると考えている。
「人は2度死ぬ。1度目は肉体的な死。2度目は誰からも思い出されなくなった時」という言葉があるが、地域も同じだろう。
「思い出してくれる人がいる」「思い出せる場所がある」ということはとてもとても幸せで、とてもとてもありがたい。
私はそんな形での地方創生を成し遂げたいと、本気で思う。