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2022/09/30

廃線について考える

中川淳一郎

乗降人数の少なさから鉄道路線の廃止や無人駅化が進行していますが、少子高齢化が続き人口が減少が続いている日本はこの問題を真剣に考える時期に入ったでしょう。何しろ2021年、死者は140万人 で、新生児は81万人。明らかに鉄道の維持は困難になっています。

 

思えば、1970年代の第二次ベビーブーム世代が就職活動を行った1990年代中盤~2000年代前半は就職氷河期にあたり、非正規雇用や無職になってしまったことが今になって効いてきているようにも思えます。彼らは現在40歳超になっていますが、若い頃に結婚どころではなかったという嘆きの声も聞きます。

 

当時の雑誌等の特集では、「たとえ収入が少なかったとしても、2人で働けば一人当たりの家賃や光熱費は安くなるから得する」といった論があったものです。しかし、日本はもはやG7で唯一給料が上がらない国になりました。となれば、多くの多くの夫婦が子供を育てる余裕さえない。そして地元では仕事がないため、現在大赤字の路線を抱える場所を離れ、近くのそれなりの規模や東京・大阪・福岡などに職を求めて去っていく。これが現在の大赤字路線の増加に多少なりとも影響を与えたでしょう。日本、そして地方の将来を考えた場合、どこかで合理化は考えなくてはいけない。

 

鉄道廃線はその一つで、「利用する人が少しでもいるから」という理由で残しておくと、JR各社の赤字が増え、さらには鉄道があるために駅の維持費や駅への道の整備費用等がかかる。それこそ草刈りやら台風の時の復旧など仕事が大幅に増えてしまうのです。県全体の利益を考えると決して効率的ではない。こう書くと「人口が少ない場所の移動手段を奪うのか!」式の批判が来ますが、もはや日本はそんな状況ではありません。

 

私は過去にアメリカに住んでいましたが、Amtrakという鉄道が各地で走っていました。しかし、赤字路線は容赦なく廃線にする。「あとは車を使うか飛行機を使ってくれ」「不便だと思うのなら、便利な場所へ引っ越してくれ」という経営判断です。そんな無慈悲な決定を下すと日本では人でなし扱いされてしまいますが、JRもついに一つ変化に向け、舵を切ったかもしれません。9月20日の佐賀新聞では10月14日の鉄道150周年を記念した特集を組みましたが、その中に廃線に関するコーナーがありました。

 

1987年のJR発足の際、1kmあたりの1日の平均乗客数が4000人未満の路線はバス転換の目安とされたとあります。JR東日本と西日本は今年、2019年度の平均乗客数2000人未満の区間の収支を発表。JR東は35路線66区間で、在来線営業距離の35.7%。JR西は17路線30区間で同33.3%。100人以下の区間も両社合わせて7区間ありました。幹部のコメントもあり、本当は10000人でも赤字なのだとか。記事内ではこれを受け、こう続けます。

 

〈だが自治体側は廃線への地ならしかと警戒を強める。「地域住民への影響が危惧される」として、今年5月に広島など28の道府県知事が連名で、内部補助による路線維持を国土交通省に提出した〉

 

JRは廃線にしたいものの、各知事は「それは無慈悲だ! 国がなんとかしてくれ」と要求している構図です。しかし、新型コロナウイルス騒動開始以来300兆円もの対策費を使ってしまった日本にそんな余裕はないのでは。

 

様々な思い出や情緒的なものが廃れた路線とその区間にはありますが、もう鉄道各社も限界に来ているかもしれません。前出・アメリカの話に戻りますが、一つの街を出るとハイウェイがあり、その先はただの野原や砂漠、トウモロコシ畑や大豆畑が広がっているだけ、ということが多いです。次の街までの距離が看板で示され、その街の入り口にはファストフード店や安宿があり、休憩ができます。

 

鉄道を廃止する代わりにハイウェイ網は整備する、という話ですが、反対する住民は多かったでしょう。しかし「全体が生き残るためには仕方がない」という割り切りをアメリカ人は受け入れた。このまま「私がいる間、私は悪役になりたくない」と様々な合理化策を講じなければ、日本の地方は本当に大変なことになり、それが都会にも波及し、ますます衰退国まっしぐら。

 

いわゆる「コンパクトシティー」ってありますよね。富山市や高知市など各地の県庁所在地や第二・第三の規模の「そこそこの規模があり大抵のものは揃った市」が。廃線となる地域に住む人に対し、そうした地域への移住を後押しする補助金を出すなどした方が、長期的視点で見ると正解かもしれません。「JRはひどい!」「国は何とかしろ!」と他人を責めているだけでは物事は好転しません。今回のJRの収支発表はその覚悟を感じました。あと、廃れた路線に住んでいては将来の見通しが立たないと考えた氷河期世代の若者はすでに20~30年前にその決断をしたのですから。その人々だって故郷への思いはあったことでしょう。

中川淳一郎

1973年東京都立川市出身。1997年に博報堂に入社し、CC局(現PR局)に配属される。2001年に退社し無職を経てフリーライターに。以後、雑誌テレビブロスの編集を経て2006年からネットニュース編集者に。2020年8月31日をもって「セミリタイア」をし、11月1日から佐賀県唐津市に引っ越す。2023年2月いったん唐津市を離れ、現在タイ・バンコクにてひっそりと暮らしている。

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